大道塾・茨城日立支部に新たに黒帯が誕生。

大道塾・茨城日立支部の佐藤利昭さんが、黒帯を取得されました。

先代である東孝前塾長が起こした大道塾は、1981年(昭和56年)に設立され、その支部のひとつにあたる茨城日立支部は、その2年後の1983年(昭和58年)8月1日に、前支部長の宇賀持一美師範が立ち上げた支部で、最初は茨城県高萩支部(現在の茨城日立支部)として支部認可されました。当時、大道塾自体も設立が2年目ということで黎明期であり、宇賀持師範は、茨城県高萩支部(現在の茨城日立支部)設立のために、日立から当時本部があった仙台(現在は東京が本部)まで何度も通い、立ち上げ準備されたと伺っています。つまり大道塾が、当時まだ認知度も今ほどないこの時期に、宇賀持師範が「茨城に大道塾の支部を作ろう」と決意しなければ、現在の茨城日立支部は生まれていなかったと言えるのです。そして現在の青木支部長へと引き継がれ、名称が茨城日立支部となった今、全国の大道塾の支部の中でも最も古くから存在する伝統ある支部のひとつですが、長い歴史の中でも大道塾・日立支部となってから黒帯まで到達した人は、わずか12人前後しかおりません。学生は学業をやりながら、社会人は仕事をやりながら、その中で時間を作って練習していくわけですから、背負うものが多くなっていけばいくほど簡単な道ではありませんが、誰もがその中で時間を作り、練習に励んでいます。黒帯自体は、今はネット通販で誰でも購入できる時代ですが、お金を出せばすぐに購入できる黒帯と、時間をかけ、手間をかけ、技術も練習する時間も試行錯誤してやっと手にいれる黒帯。見た目は同じ黒帯でも、前者と後者では価値が全然違います。そして、実戦空手も含め、黒帯になるには、連続組手という荒業を乗り越えなくてはなりません。連続して人と戦う。現代において、そんな一見理不尽に見えるようなことを乗り越えて手にいれるからこそ、簡単に手に入らないからこそ、武道の黒帯にはそれを目指してきた人にとっては、一生の価値があると言えるのでしょう。そして黒帯を取ると、一段と言わず、初段と認定されます。そこには「黒帯取得は到達点ではなく、また初心に戻って修行をしていく」という意味が含まれていて、そういう意味では、黒帯を取ってからが、本当の意味での自分自身の心技体を試されていく武道の修行が始まる、ともいえます。今後も日立支部には、黒帯を目指す者がたくさん存在しますので、みんなで次に続きましょう。

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